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鹿児島県霧島市 観光路線バス「霧島神宮アクセスバス」の実証運行期間を2025年3月31日まで延長します!
霧島神宮アクセスバス
霧島市は、令和4年2月に「霧島神宮本殿、幣殿、拝殿」が国宝に指定されたことや、令和6年3月22日に霧島神宮駅がリニューアルオープンしたことなどによる観光客の霧島神宮及び霧島神宮駅への移動ニーズの高まりを踏まえ、令和6年7月20日(土)から、鹿児島空港から霧島神宮、霧島神宮駅までを結ぶ観光路線バス「霧島神宮アクセスバス」を実証運行しています。
霧島神宮アクセスバスは、現在、利用者数が増加傾向であり、鹿児島空港や霧島神宮駅から霧島神宮等への交通アクセスのニーズについて更なる高まりが見込まれます。
このことから、運行期間を延長し、令和7年3月31日(月)まで運行継続いたします。
※令和7年1月1日(水)から令和7年1月3日(金)の間は、沿線道路の混雑が予想されるため運休します。
今後とも、皆様のご利用お待ちしております。
概要
〇運行期間の延長
令和7年3月31日(月)まで
〇霧島神宮アクセスバスについて
【運行路線】
鹿児島空港~霧島温泉郷(丸尾)~霧島神宮~霧島神宮駅
【運行期間】
令和6年7月20日(土)~令和7年3月31日(月)
※令和7年1月1日(水)から令和7年1月3日(金)の間は、沿線道路の混雑が予想されるため運休します。
【運行事業者】
鹿児島交通株式会社
【運航時刻】
【運 賃】
霧島「のったりおりたりマイプラン」バス1日乗車券専用となります。
大人(中学生以上):1,100円、小人(小学生):550円
【乗車券販売所】
霧島神宮アクセスバス車内の他、鹿児島中央駅、国分駅、隼人駅、霧島神宮駅、
鹿児島交通(株)国分営業所、市観光案内所、鹿児島空港バス案内所 等
※霧島神宮アクセスバス以外のバス車内では購入できません。
詳細はこちら(霧島市公式HP)
https://www.city-kirishima.jp/kirikan/kanko/bus/kirishimajingubus.html
霧島神宮・霧島温泉郷の概要
霧島神宮は天孫降臨神話で知られるニニギノミコトを祀る神社です。社殿は霧島山の噴火や火災によって焼失・移転を繰り返しました。
現在の社殿は江戸時代の正徳5年(1715年)に薩摩藩主・島津吉貴によって建立されました。火山の溶岩の傾斜の上に建てられ、地形の高低差を利用して正面から美しい姿が見られます。
社殿内部まで豪華な装飾がなされ、特に本殿の龍柱(りゅうばしら)は南九州独特で、東アジアとのつながりもうかがえます。
霧島温泉郷の概要
霧島温泉郷は霧島山の南麓にあり、新湯、林田、硫黄谷、丸尾、栗川、湯ノ谷、殿湯、関平、野々湯の9つの温泉を総称した温泉郷です。
霧島温泉郷の中心に位置する丸尾は、ホテル旅館が多く存在する霧島観光の拠点となっており、湯けむりたなびく情緒ある温泉街となっています。
2月16日(日)に「初午祭」が開催されます
鹿児島県霧島市で開催される「初午祭」は、例年、旧暦1月18日を過ぎた最初の日曜日に鹿兒島神宮で開催されます。
全国でも珍しく鈴かけ馬と呼ばれる馬の背中に飾りをつけ、首には鈴をつけた馬が踊り連を引き連れて太鼓や三味線にあわせ踊りを踊ります。
毎年10万人もの人出があり、鹿児島を代表する祭りです。多くの方のご来場をお待ちしております。
※ 周辺の道路は交通が規制され混雑します。来場の際は、なるべく公共交通機関をご利用ください。
概要
開催日時】
2025年2月16日(日)9時30分~16時00分
【開催場所】
名称:鹿兒島神宮と周辺
住所:霧島市隼人町内2496番地1
【お問合せ先】
初午祭実行委員会(霧島市観光PR課内)
電話番号:0995-64-0895
ホームページ:https://www.city-kirishima.jp/kirikan/kanko/matsuri/haru.html#hatsuuma
【駐車場】
有(約1,200台)
【入場料】
無料
【交通アクセス】
[車]
・九州自動車道溝辺鹿児島空港ICから車で約25分
・東九州自動車道隼人西ICから約15分
[電車]
・JR隼人駅より徒歩約15分
【雨天時】
小雨決行
【交通規制】
当日は、交通安全対策のため、一部区間で歩行者専用道路等の交通規制を実施します。
祭りの由来
室町時代、鹿兒島神宮の改築工事の監督として、宮内においでになった島津貴久公が宿で休んでおられるとき、不思議な夢を見られました。枕元に観音様が現れて「自分は馬頭観音である。長い間ここに居るんだが誰も顧みてくれるものがない。お堂を建てて私を祭ってくれないか、そうしたらこの国の守護神になり、末永く守ってやる。」といってスーッと消えてしまいました。
明くる朝、この話を宿元の神官に話すと「私も同じ夢を見た。」と言う。ちょうどそこへ神宮近くの日秀上人という偉い坊さんが碁を打ちにやってきて、「その夢なら私も見た。」という。三人が三人とも同じ夢を見た。「これはきっと観音様の有り難いお告げに違いない。」ということで、獅子尾丘(町営体育館の横)に正福院観音堂を建て日頃愛用した碁盤を材として観音像をお祭りするようになりました。
それからは、夢を見たその日、旧暦一月十八日を縁日と定めたくさんの馬をお堂にお参りに引いていくようになり、きれいに飾り立てた鈴かけ馬を踊らせたのが始まりだといわれています。